查看原文
其他

【独特】どの国の映画とも違う「味」のある日本映画

2017-01-12 人民網日本語版 人民网日文版



日本映画が世界に革命を起こす時代は終わり、その座は、アニメや顔面偏差値の高いさわやかなアイドル、悲しい青春時代やちょっとした幸せを描く作品に奪われたとの声もある。しかし、そのようなネガティブな見方は現実とかけ離れているわけではなく、ここ数年日本で大人気になっている映画は、人気漫画や小説を原作とし、さらにアイドルを起用することで、原作とアイドルのファン両方を抱え込んでしまう作品が多いものの、目立つ存在である顔面偏差値の高いアイドルたちだけが日本映画の中心というわけではなく、不器用な青春を描く山下敦弘監督、癒し系映画の沖田修一監督、深みのある作品で知られる是枝裕和監督、80歳を過ぎてもコンスタントに作品を作り続ける山田洋次監督などもおり、それらの作品では悲しみと喜びが入り混じる独特な手法で、歴史や家族に潜む光と影が描き出されている。(文:柳青。文匯報掲載)

 

日本映画の最大のメリットは、シンプルなもの、含みのあるもの、若手俳優ぞろいのもの、ベテラン勢がそろったもの、かわいさを売りにしたもの、厳粛な雰囲気のものなど、どんな作品であっても他の国の映画とは異なる雰囲気を醸し出している点だ。そのような「日本映画独特の味」は、日本社会にある人情、世情から自然とにじみ出ているもので、商業映画界の良好な発展の土壌のもとで、培われてきた自由な表現の表れでもある。一見ポップな楽しみにしか見えない顔面偏差値の高いアイドルなどもアートの足を引っ張る存在とは見られない。発展した商業映画に原罪はなく、産業全体が良好な発展段階に入ると、過度に傑作を追求する野心は消え、クリエーターたちがあたたかい気持ちで、作品の規模にかからず、商業映画一作一作に向き合う。そのような環境でこそ、作品の多元化が実現でき、そのような環境でこそ、芸術にとって寛容な土壌を提供することができる。

 

中国と同じく、日本でも、人気小説や漫画を原作とする映画が数多く製作されており、映画館で上映されているほとんどの作品がその種に属し、ジャンルはロマンスとミステリーが人気だ。人気漫画を映画化したものには「セトウツミ」、「ヒメアノル」、「暗殺教室」、「オオカミ少女と黒王子」、「信長協奏曲」などがあり、人気小説を映画化したものには「世界から猫が消えたなら」、「64 ロクヨン」、「探偵ミタライの事件簿星籠の海」などがある。これらの映画には、人気アイドルなどが出演しており、原作のファンとアイドルのファンを両方抱え込むことで、確実にヒットさせるという共通の製作スタンスがある。

 

ヒット作品のお決まりの手法に従うというのは、時に、通常は多くの人が敬遠しがちな内容の作品を、より多くの人に見てもらうことのできる、手っ取り早い方法となる。「信長協奏曲」はその最も典型的な例で、漫画がドラマ化され、その後映画化されるという、お決まりの手法に従ってきた。そのストーリーは、勉強が苦手な高校生のサブローが、ひょんなことから戦国時代にタイムスリップしてしまい、織田信長として生きるというもの。新鮮で独特な視点で、歴史的な事件「本能寺の変」が描かれている。作中には、かわいらしいシーンや熱血な場面ばかりではなく、歴史というやや敬遠されがちな話題まで盛り込まれている。このような映画は、大ヒットして製作者が喜ぶだけでなく、見る人も楽しみながら、歴史の知識を得ることができ、商業、文化、娯楽、芸術の要素を満たす一石四鳥の存在になる。

 

人気小説や漫画を映画化し、アイドルを出演させることで、原作とアイドルのファン両方を抱え込んでしまうという手法を採用しているものの、日本映画が全て短命な消費商品になっているわけでは決してない。それとは反対に、商業映画は資本論理に堅く従って発展しているため、商業と文芸の隔たりが少しずつ縮まっている。例えば、アイドルの二宮和也は映画版「暗殺教室」で、アニメのようなオーバーな演技で死神役を演じたかと思うと、山田洋次監督の「母と暮らせば」に出演した際には、被爆死し亡霊となって母親の前に現れるという、せつない役を見事に演じ切った。その他、カンヌ国際映画祭などの映画祭で度々話題となっている是枝裕和監督は、吉田秋生の人気漫画「海街diary」の映画版のメガホンも取った。

 

人気女優の綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずが主演を務め、四姉妹を演じた映画版「海街diary」は、「奇跡の美人四姉妹実現」と好評を博した。しかし、この映画で4人の美人にばかり注目していると、是枝裕和監督に失礼となるだろう。同映画では、舞台となっている鎌倉の四季を情緒たっぷりに映像に盛り込みながら、ストーリーでは複雑に絡む家族内の秘密に迫る。責任、裏切り、別れなどやや重い話題を背負いながら、四姉妹は、明るい方向に向かって、もがきながら成長していく。このような映画を見ると、是枝裕和監督のエッセイ集「歩くような速さで」の「今、映画は確かに大型の娯楽場の消費項目になっている。創作者は現状と向き合わなければならず、どのようにして新たな場所で人々とうまくやっていくかを模索しなければならない。映画に登場する人物も、カメラの反対側にいる監督と同じリズムで呼吸している人であり、撮影対象も実際に生活している人達。映画とは、創作者と見る人の両方が持っている少しずつ流れる時間を表現するもの」という言葉を自然と思い出す。「海街diary」や最新作の「海よりもまだ深く」に、「そして父になる」、「奇跡」、「歩いても歩いても」などと同じジャンルで、「呼吸」を美学とし、ストーリーの流れも登場人物も呼吸のようにナチュラルで、悲しみが大げさに表現されているわけでもないのに涙がこぼれてくる。

 

「海街diary」の四姉妹は、癒し系美女の代表でもある。日本の顔面偏差値の高いアイドルは、驚くほど入れ替わりが激しい。人気になったかと思うと消え、また新人が登場するアイドルと比べると、ゆったりと安定したパフォーマンスを見せるのが山田洋次監督(85)。昨年と一昨年も「母と暮らせば」と「家族はつらいよ」を製作した。「母と暮らせば」を見ると、山田監督の傑作「母べえ」や「小さいおうち」を思い出す。後者2作品の舞台は戦時中であるのに対して、前者2作品は戦後間もない時期が舞台だ。日本人にとって、そのような時代を振り返り、映画を通して一般人にとっての戦争やその悲劇を追求するというのは、心が痛むものであり、勇気が必要となる。そこで向き合うべきものは、心の傷や痛みだけでなく、道義に反する行いをした者が感じる恥ずかしさも含まれる。精神的な拠り所であった「小さいおうち」は、戦争によってなくなり、戦後には崩壊してしまう。政府の犯す悪行は嫌悪感が募るものであり、一般人もそれに巻き込まれ、苦しみを味わったことを考えると、戦争は本当に憎むべきものだ。山田監督はそのような暗黒の時代に幾度となく焦点を合わせ、そのような状況下における、一般人の抵抗、愛に対するあこがれ、後悔、もどかしさ、配偶者、家族、世界に対する思いを、真っ暗な暗闇の中を照らすかすかな光のようにして描き出している。そのようなかすかなぬくもりこそが、山田監督が世間の人たちに伝えるメッセージだろう。

 

是枝監督や山田監督が代弁している、今の日本映画の最も良い所をどのように表現すればよいのだろう?その表現方法とは、河瀬直美監督がメガホンを取った映画「あん」で、樹木希林演じる徳江があんの作り方を他の人に教える際、心を込めて、相手に耳を傾けながら教えるシーンのような感じではないだろうか。そこには他人への思いやりや優しさがあふれており、ぬくもりが感じられる。


おススメ

  

 

【外国人が見る中国】外国人にとって最もクールな「中国製品」とは?

【流行】日本の変わったサービス「おっさんレンタル」 若者をターゲットに

【現実】大学に通うお金も結婚するお金もない日本の若者たち



本微信号内容均为人民网日文版独家稿件,转载请标注出处。

您可能也对以下帖子感兴趣

文章有问题?点此查看未经处理的缓存